どうも、くにぞーです…
少しずつ、暖かい日もあったりしてようやく春がやって来そうな気配ですね。現在自分が赴任している石川県はそこそこ冬が厳しいところということもあって、小春日和が何気に嬉しくもあったりします…
我々サラリーマンにとっては、春は異動の季節でもあり、
「今度はどこに飛ばされるのだろう…」
と、一瞬心臓の鼓動がドキドキと高まる緊張の時期でもあるのですが、
今回は、
残留決定!
と相成りまして、
ホッと胸をなでおろすと共に、嬉しいのか悲しいのか?よくわからない春を迎えております。
とにもかくにも、私の単身赴任生活は、めでたく?9年目に突入となりました。
そこで今回は、これまでの自分の単身赴任遍歴を簡単にまとめてみようかと…
こういう節目に今一度人生を振り返ってみるのも悪くないでしょうし…
僕(くにぞー)の自己紹介にもなりますし 💦
三重県四日市市 単身赴任生活はじまりの地
単身赴任がスタートしたのは三重県でした。
それまでは、生まれ育った愛知県の事業所を転々とし、「大した転勤もなく、このままつつがなく暮らしていけるだろう」と淡い期待を抱いていたわけですが、大企業の総合職はそんなに甘くはありませんでした。
突然言い渡された内示に、一気に現実に引き戻されたのを覚えています。
幸い隣県の三重県だったということもあり、「この距離なら気合で通勤できないこともないな…」と思いましたが、自分の所属部署は早朝から出勤しなければならないこともあり冷静に考えた結果、単身赴任を選択しました。
今思えばこの選択は間違っていなかったと思います。なんせ通勤に体力を奪われませんし、体が楽!休み前には実家に帰れましたしね。
ついでに書くと私が赴任した事業所は、なんと嫁の実家の近所でしたw
二人の子供もまだ小さかったことから、週末になると嫁が子供を連れて実家に遊びに来たりしいましたし、この時期は単身赴任と言うよりも久しぶりの一人暮らしを楽しんでいるかのような、寂しさとは無縁の生活を送っていたのかなと…
そして、三重県での楽しい一人暮らしも一年半後、突然の辞令によって終わりがやってきてしまいました。
静岡県袋井市 本格的な単身赴任生活のはじまり
※写真は御前崎港近隣の臨海公園(写真の手前の子が次男くん、中央が長男くん)
次の赴任先は静岡県袋井市でした。
愛知県の実家からは片道150キロ…まぁ、半端ない距離です…
( ;∀;)・・・
三重県のようにそうやすやすと実家になんか帰省できませんし、ここで「全国転勤OKの総合職」を選択した自分をちょっぴり後悔しました。
自分の本格的な単身赴任生活が始まったのはこの地からと言っても過言ではありません。会社から手当が出て月一回は帰省していましたが、「単身赴任の寂しさ」というものを感じ始めたのも、この頃からだったと思います。
寂しさの反面、初めて住む未開の地はいろんな意味で刺激的でもありました。
静岡県袋井市は、浜松市に近い適度な田舎街といった印象で気候は温暖で一年を通じてとても住みやすいところでした。地元の人も温厚な方達が多く色々と親切にしてもらった記憶があります。
田舎なんで飲み屋とかは少なかったんですが、歓迎会を近くのファミレスで開いてくれて、みんなでビールがばがば飲んだりw…都会育ちの自分には、ちょっと想像のつかない飲み会で楽しかったのを覚えています…
食べ物も美味しかったです。袋井市の名産はメロン(全国的にも有名)で結構高価なものでしたが、地元では訳あり(ちょっと傷あり)のものが安く手に入ったりして美味しく頂いてましたね。
魚介類も美味しくて、御前崎や焼津で水揚げされるカツオやマグロは鮮度抜群で、温暖な気候の静岡で食べるさっぱりとした赤身の刺身は格別でした。
そして、静岡と言えばやはりこれ!
さわやかのハンバーグ!!!
食べたことのある人ならわかってもらえると思いますが、あの肉汁ジューシーな味わいの虜になってしまいましたw
家族と離れ離れの寂しさを感じつつ、静岡県での生活をそれなりに楽しんでしたわけですが、そんな生活も突然の辞令によって又もや終わりを迎えることとなりました…
長野県岡谷市 僕の心を癒してくれた大自然と優しい人々の街
※写真は前面結氷した諏訪湖、この年「御神渡り」と呼ばれる自然現象を見ることもできました。
約1年半の静岡県での勤務の後、次に赴任した地は長野県岡谷市でした。
この時の転勤に関しては、自分自身に自覚というか、身に覚えがありました…
実は静岡にいた時、直属の上司との折り合いが悪く関係は最悪の状態だったのです。その上司は有能で仕事はできましたが、それ故に自分の考えは200%正しいといった、あまりにも強引な人間でした。
自分の出世のために、上司は僕に無理難題な仕事を押し付けてきました。
部下を踏み台にして出世していく典型的なサラリーマンですね。きっとどこの職場にもいるタイプだと思います。
僕はそんな上司の命令をどうしても聞くことができませんでした…
その場の二つ返事とは裏腹に心が拒絶するというか、どうしても行動をともなうことが出来なかったのです。
そんな自分に対して、上司は僕を激しく叱責したり罵倒し始めました…今思えばパワハラそのものですよね。
そんな状況を懸念した事業所の所長が、僕を異動させたというわけです。
ただ、所長はその上司を残し僕を飛ばしました…
これって、いわゆる左遷ってやつだよね…
仲の良かった同僚たちの「まぁ寒いところで頑張ってね!」という冗談を受け流すことが出来ないくらい僕は傷つき、心が半分壊れかけていました…うん、本当、きつかったなぁ…
引っ越しの日程を理由に送別会も断って、僕は長野県の売上規模の小さな小さな事業所に赴任したのです。
そんな悲壮感の漂う転勤でしたが、辿り着いた先には温かい人々が待っていました。
「静岡でなにかやらかしたのか?」
僕の新しい上司は笑って聞いてきました。体裁悪く、黙りこくってしまった自分に
「ここは、いいところだぞ!諏訪湖の周辺は観光地だしな!温泉も一杯あるし、食べ物も酒も旨い!地元の人も暖かい!まぁ、冬はめっちゃ寒いけどな(笑)、まぁリラックスして仕事すればいいよ!ぼちぼちやればいい」
まるで、全てを見透かしているように、そう言って僕の肩をポンっとたたきました…
上司の言葉に嘘はなく、人々はとても暖かくてアットホームな職場でした。
岡谷市や諏訪市には温泉が多く、僕は温泉の虜になってしまいました。それに標高800mのこの地は吸い込む空気さえ美味しいし水も旨い!
人生で一度も感じたことのなかったこの感覚は、傷ついた僕の心をゆっくり、ゆっくり癒してくれました…
※写真は週に2回は行っていた岡谷市にある温泉「ロマネット」
当初、左遷での転勤という絶望的な気持ちからスタートした長野県での単身赴任生活は、一転して公私ともに最高な人生の1ページになりました。本当、人生なんてどこでどうなるかわからないものです。
ただ、そんな最高な時は長くは続きませんでした…
実は僕が赴任した長野県の事業所は、赴任からちょうど1年後に閉鎖することが決定していたのです。
だから、僕が長野県で過ごした時間はたったの1年でした、でもされど一年、本当に素敵な時間に感謝です。
さて気になるのは次の赴任先です。今度は転勤することが予めわかっているだけに、次はどこに行くのか?閉鎖間際は落ち着かない気持ちでいっぱいでした。
新潟県新発田市 憂鬱と素敵が入り混じった気持ちで過ごした街
※新潟県新発田市の陰鬱な空、よく「空が低い」なんて表現したりしますが正にそんな感じ…新潟県は夏場を除いて本当に晴れの日が少ない…
事業所の閉鎖を3日後に控えた日、僕は応接室に呼ばれました。いよいよ内示(次の赴任先を知らされる時)です。ドキドキしながら部屋に入りました。中には本社から来た人事担当者と所長が待っていました…
人事担当者は、僕がソファーに腰掛けてしばらくするや否や、次の赴任先を告げました。
「○○さんは新発田市にある事業所に異動になります」
∑(゚Д゚)!!
極度に緊張もしていましたが、そもそも「しばた」なんて聞いたことないし、「しばた」という地名が自分の想像の遥か斜め上というか、不意打ちすぎて僕は一瞬フリーズしてしまったのです。
「…すみません、あの、しばたという事業所は何県にあるんですか?」
「新潟県です、新潟県新発田市。とても良い事業所です。所長もやさしいと評判の方です。○○さんの新天地でのご活躍を期待しています」
「はい…」
応接室から出た僕は、自分のスマホを取り出してグーグルマップで愛知県の自宅から新潟県新発田市までの距離を調べました…
∑(゚Д゚)!!
「500キロ!」
( ̄□ ̄;)…
長野からだって200キロあるのに、倍以上遠くなるなんて…
良い職場かどうかの前に、遠すぎでしょ!あんまりだ!ひどすぎる!
心の中で叫んでいましたが、愚痴を言ったところで何も変わりません。転勤は会社員の宿命であり、受け入れて前へ進むしかないのです…
…そんなこんなで始まった新潟県新発田市での生活でしたが、いざ住んでみると新潟県での生活も決して悪いものではありませんでした。地元の人々は長野同様に暖かい人が多く、職場も聞いていた通り所長をはじめ、まとまっていて大変働きやすかったです。美味しいお米やお酒も堪能できました。
単身赴任も4か所目ということで、色々と耐性がついてきたこともあるかと思います。
ただ…
住み始めた当初、新潟県の気候のせいか軽く鬱っぽくなってしまいました。
なんせ、本当に晴れの日が少ない!
夏場を除き日照時間も短く「朝晴れていても、夕方は雨」といった具合に、一日の中でも天気がコロコロと変わります。おまけに冬には、雪も結構な量降り積ります…
傘を手放せない生活は、太平洋側で生まれ育った僕にとってはかなり気が滅入ってしまう日々でした。まぁ、それも1年後には慣れてしまいましたが…
問題だった実家まで500キロの帰省に関しても、会社から月一回の帰省旅費が出ていたこともあり、新潟空港から飛行機で愛知へ帰るという経費度外視の離れ業を使って解決しましたw
飛行機なら約1時間で愛知県です…いやぁ、文明の利器って凄いですよね💦 自腹だったらとてもじゃないが無理でした…
そんな感じで、新潟県の気候に参りながらも仕事自体は順調にやっていくことができ、自分自身のサラリーマンとしての評価もどん底だった静岡時代に比べれば随分と見直して頂けました。
そして新潟県といえば、ラーメン!本当に美味しいラーメン屋さんが多いんです!
僕の一番のお気に入りは新発田市にある「赤シャモジ本店」の特性濃熟醤油つけめんでした。
全粒子粉を使用したモチモチの麺、レアチャーシューに歯ごたえたっぷりのシナチクを濃厚な魚介スープに付けて食べるこのつけ麺は、僕が今まで食べたどのつけ麺よりも美味しかったです!
休みの日にこれを食べに行くのが楽しみの一つでもありました。
こうして書いてみると赴任先での食べ物の思い出が多いですよね💦
まぁご当地の旨いものを楽しむことができるのも単身赴任の数少ない特権の一つなのかもしれません。
新潟県での勤務も振り返ってみると素敵な毎日だったと思います。
しかし、そんな毎日はお約束通りといいますか、1年半後に終わりを迎えます。
石川県かほく市 綺麗な海沿いの田舎町にて現在に至る
※かほく市はちょっと行けば(歩いても)すぐに海辺に出られます。らしい海水浴場は皆無というか、基本どこでも泳げますw ただし、離岸流には要注意!
新潟県での一年半の勤務の後、僕が赴任したのは石川県かほく市です。この時点で単身赴任が始まって丸5年になっていたのですが、その間になんと5回の転勤です。
ちょっと多すぎませんか?うちの会社は鬼ですよね💦
かほく市は、金沢市から北に位置する人口3万5千人ほどの田舎街です。自然が豊かで海が近い…
まぁ、特筆すべきはそんなところで、基本何にもありませんw
近くに大型ショッピングセンター(イオン)やスーパーがあるので生活には困りませんが、外食できるお店は本当に少ないです。外食や遊びに行こうと思ったら金沢市まで出ないと正直厳しい…
ただ、海は本当に近いです、歩いて行ける!…そして、とてつもなく綺麗です。
天気の良い日はこんな美しい夕日が拝めちゃいますね。
この町へ来て、僕の猛烈な転勤発動もどうやらスローダウンしたようで、この春で丸3年が経過しました…
書いているうちに結構長くなってしまったので、石川県での生活については別の記事で書こうと思いっています。
単身赴任を振り返って
今回は僕、くにぞーがめでたく?単身赴任9年目に突入したということで、これまでの経緯を振り返ってみました。
この8年間には、家族と会えない寂しさであったり、仕事でつらいことがあった反面、その土地での暖かい人々との出会いや美味しい食べ物、美しい自然を体験することができて、自分の人生に潤いを与えてもらった…
そんな風に感じています。
たった1度きりの人生でこんなにもいろんな土地で生活できるなんて、考え方によってはとても贅沢なことじゃないですか!
と、単身赴任をできるだけポジティブに考えるようにしています。
同士である日本中の単身赴任生活者の方々も、きっと同じ思いなのではないでしょうか?
僕の単身赴任という旅は、まだまだ続きそうです…
今回はこの辺で!それでは、また!
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